兜町の風雲児 加藤暠(あきら) 「般若の会」とは!?

加藤あきら(通称K氏)とは…!?

1980年代、医師や社長、政治家などの大物(資産家)約800人の大口を抱え込み、「誠備グループ」という投資家集団を結成。当時のグループ資金は500億円とも言われ、時価総額で推定1000億。値の安いボロ株に投機することで株価を急激に上昇させる「兜町最強の仕手筋」と持て囃される。
証券会社を目の敵にして「個人投資家主体の市場へ変えよう」と訴えると多くの賛同者が集まり、一時は4000人もが会員となった。特にこのころ、「宮地鉄工所」を誠備グループが全力で仕手戦を仕掛けた話は有名である。200円台だった宮地鉄工所の株価は急騰し、数か月で2950円の高値を付けた。

加藤暠(あきら)は「株式の革命。資本家や大手証券にいじめられてきた弱小投資家の戦いだ」と豪語した。

宮地株が上昇するにつれて「誠備グループは儲かる」という話が広まり、更に影響力を拡大したのであった。

当然、裏社会の方達との付き合いもあっただろう。
テレビ局のインタビューで「明日の朝には、私の首がその辺に転がっているかも知れない」とも述べるなど、政財界・裏社会などとの繋がりを匂わせている。「裏の社会は暴力団、表の世界は政治家と付き合わなければダメ。兜町で生きていくには力が必要なんだ」と話していた。
1979年の所得2億7000万円、1980年の所得は7億円を超えたと言われ、翌1981年は5億1619万円と発表。
これだけ儲けても暮らしは質素。
住まいは2DKの賃貸マンションで、仕事の都合上車だけはベンツであった。

そんな加藤暠(あきら)も1981年2月、東京地検特捜部に逮捕された。所得税法違反との罪状だったが、地検は顧客名や関係者、黒幕などを吐かせることが目的だったとされる。厳しい取調べで吐いてしまうだろうと誰もが予想した。しかし加藤暠(あきら)は断固して顧客名を明かさなかった。このことでさらに加藤の男が上がり、後のバブル最後の仕手戦や、アベノミクス相場の今もなお、「K氏銘柄」「加藤銘柄」として、少しでも介入の噂があれば株価が急上昇をみせる所以なのだろう。
その後も1989年、稲川会と組んで王子製紙の仕手戦を仕掛けるも、稲川会会長の石井氏の死去やバブル崩壊などにより一気に市場が冷え込む。また同時期に証券大手と総会屋の癒着、証券大手と大蔵省との癒着により関係者が次々に引退し、逮捕者なども出て株式市場は一層冷え込みを見せた。

1995年には有名な大仕手株(兼松日産農林)を仕掛け株価が13倍にも膨れる。これ以降も少しばかりの名を聞く程度になった加藤氏。

だが、アベノミクス相場に乗って市場に舞い戻ってきたのだ。
2013年、加藤氏のホームページも更新されるようになり、日本カーバイド工業(4064)・CVSベイエリア(2687)が介入銘柄として話題となった。

加藤暠(あきら)が新たな投資集団グループ「般若の会」を設立し、アベノミクス相場に復活!?

「兜町最強の仕手筋」により仕手株は更に熱く、噴き上げる程の株価急騰を見せるのではないか!?

と思われたが、仕手集団『般若の会』の元代表として知られる加藤 暠(あきら)が情報を発信しているホームページ「時々の鐘の音」で、保有株の価格をつり上げる目的での書き込み「風説の流布」があったとして証券取引等監視委員会の強制調査が入ることとなり、金融商品取引法違反(相場操縦)容疑で逮捕され株式市場の表舞台から消えることとなる。

加藤暠(あきら)の投資集団グループ「般若の会」はもう復活しないのか!?
仕手株が熱く噴き上げる程の株価急騰劇はもう見れないのか!?
仕手筋の動きに引き続き注目してみたい!!
※2016年12月26日付で加藤暠氏(75)が都内の病院で亡くなられたことが報じられる。
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